
アルメニアに滞在した期間は4月の中旬~晩期。ちょうど、
虐殺追悼セレモニーが執り行われる日とも重なっていました。
当日のセレモニーがどんな状況なのかは知らず、
ガイドのAniさんにセレモニー当日に会場を訪れることが出来るか?と
尋ねたが「かなり混雑するので控えておいた方が良い」とのことでした。
その状況を目の当たりにしたのはまず2日前から。
泊まった宿でテレビを観ていると、追悼セレモニーを前にした特番が
ずっと映っており。前日になると、夕方からエレバン中心街の
大通りで超・大勢の方々が行列を作ってゆっくりと行進している。

人々の大行進だけでなく、街宣車や警察も出動して
感情的な様相を呈していました。世界中に住む、アルメニアに
ルーツを持つ方々がこの日にはエレバンに集結して
夜から徹夜の大行進をしてセレモニー会場のある、
アルメニアン・ジェノサイドミュージアムまで練り歩きます。
なるほど、控えておいた方が良いとはこのことだったのかと納得した。
そのため、セレモニー当日の4月24日の会場訪問は避けて、
4月26日に尋ねました。それでも参列者は後を絶たず。

地元の有志の未成年たちが参列者の献花用の
お花の仕分け、片付けを積極的に行っている。
子供たちはアルメニアの国旗を持ちながら、
セレモニー会場まで練り歩いていました。

例えば、この子達の年齢を考えると、
実際に1915年の狂気の沙汰の時代を目の当たりにしたのは、
4~5代前の方たちだ。そこで見た惨状・過去があって
今があることが、実の親からだけではなく、
周りにいる大人からも伝えているから
こういったことが出来るんだなと感じました。
20世紀からある建物を大事にずっと使い続ける姿勢。
世紀を超えて培ってきた伝統模様や民族衣装を今でも多くの方が
大切に身に着けていること、民族衣装のファッションショーまであることも。
片や、最新のテクノロジーも良いところはぐんぐんと取り入れて、
古来の技術と結び合わせることも持ち合わせるアルメニア。
これらは全て、過去に生きた人々のことを忘れずに
生きることがスタンダードなテーマになっているのだなと。
受け継がれてきたものを伝えること。
そこに重きがある国だと腑に落ちながら帰路につきました。